どうしようもなくすれ違う

どうしようもなくすれ違う


※メルニキがイカれた男になってます

※色んな人と解釈違いを起こす可能性があります




 クロと二人だけの暮らしを始めて三年くらい経った頃。私は布切れをチョキンと切りながら考えていた。

 最近服飾関係でしか鋏を使ってないな、と。それ自体に関して不満はない。今の生活も平和で楽しくて好きだ。私が作った服をクロに着てもらうのはすごく嬉しいし。

 けれど私にとって鋏とはそれだけの道具じゃない。鋏とは布だけじゃなく、人だって切れてしまう優れものなのだ。それなのに今の生活にすっかり慣れたせいで腕が鈍ってしまったなんてことになるのは嫌だ。いざって時にクロを守れなくなるから。

 何かいい方法はないか。

 フム、と一旦手を止め考えたところで、最近聞いた噂を思い出した。

 そういえば、町の奴らが天竜人が来るとかなんとか騒いでたな。どうやらソイツらは神らしいけど、人間とはどう違うんだろうか。斬ってみたら分かるかも。

 最近新しい刺激も欲しいと思っていたところだし、もし遭遇することがあればその時は。

 私はリングに指を通しクルリと一回転させ鋏を持ち直した。

 うん、いい暇つぶしになりそうだ。


 ◇◆


 はぐれないように弟と手を繋いで買い物に出ていた時に、キャメルは天竜人を見つけた。二人もだ。ソイツらはここら辺じゃ見ない服装で頭に変なモノを着けていたから、初めて見るキャメルの目からしても明らかだった。

 天竜人を見た人々は皆、膝をついて頭を垂れている。

 これが神ってやつか。

 キャメルは期待に胸が弾むのがわかった。

 逸る気持ちを抑えつつ、キャメルは弟に笑いかける。


「いいかい、クロ。どうやら天竜人ってのはちょっとでも逆らうとヤバいらしい。ヤツらは神なんだって。だから何があっても服従する姿勢を崩さないこと、いいね? 今はそっちの建物の陰にでも隠れておけばいいかな」

「……は? 何言って」

「そして私は今日から神殺しだ」

「おい、待て、アニキッ……!」


 キャメルは弟の制止に振り返ることなく駆けだして、鋏を振るった。

 綺麗に磨かれた鋏は、キャメルの思い通りに対象の肌を突き破った。

 何をされたか分からない顔のまま胴体と泣き別れになった頭部を見て、キャメルは首を傾げる。

 キャーッという悲鳴は誰のものだったろう。いや、そんなことよりも。


「なんだ、案外普通じゃないか。みんな一体何をそんなにビクビク怯えていたのかな」


 頭部と見つめ合ってみても何も分からない。そこに怒号が飛んできた。


「こんなことをして貴様! どうなるか理解しているのかえ?!」


 金切り声を上げているのは、たった今キャメルが首を飛ばして見せた神と同じ格好をしたヤツだった。


「知らないんだ。だからやってみた。暇つぶしになるかなと思って」


 どうやら本人の口から教えてもらえそうだと思ったキャメルは素直にそう答えた。

 しかし、神は更に激昂した様子でまくし立てる。


「知らない?! ふざけたガキだえ! 貴様だけじゃない、貴様に関わる全ての人間を殺してやるえ! 貴様の目の前でだえ! そして最後に貴様を────」


 神が血走った目をしながら台詞を言い終わるより先に、キャメルは刃が届くほど近距離に移動していた。


「そうか。それができるんだねお前らは。それならお前も殺すね」


 正直なところ一人殺ってなんにも起こらなかったから、それで終わろうと思っていたキャメルだったが、どうやらそうもいかないらしいことが分かった。この状況で命乞いより先にその言葉が出るということは、天竜人たちにはそれができる権力があるということなのだろう。

 それは非常にマズイ。弟に手を出されるのはマズイ。自分の暇つぶしに弟を巻き込んでしまうなんて。兄としてあるまじきことだ。そうなる前に最低限、天竜人とその付き人は消さなくては。


「教えてくれてありがとう。それじゃあ死ね」


 天竜人ってやつは想像以上に手を出すと面倒なヤツらだったみたいだ。体験してみないと分からないことは世の中にはいくらでもあるが、これで一つ賢くなった。

 キャメルはどっぷりと血に濡れた鋏を綺麗にしながら、今度は一部始終を見ていたであろう住民たちに目を向けた。


「聞いてたよね、今の話」


 自分たちに話しかけられていると理解した住民たちは悲鳴を上げて逃げ出そうとした。


「待ってよ。全員なんて殺さないよ、本当さ。多分これから海軍が来るよね。そのときに話すことは私に関することだけにして欲しいだけだよ。ただ約束して欲しいんだ。私の弟に関することは一切口にしないって」


 この町を基点に過ごしてもう長い。キャメルに弟がいることを知っている人間は多いのだ。


「い、イカれてる……」

「お、おれは言うぞ……海軍に嘘をつくなんて、それも天竜人に手を出したやつのことなんて」

「そうか」


 また一人、地面に伏した。


「もう一度言うけど、正直に話すことは私が天竜人を殺したことだけにして欲しい。それが出来ないヤツは今ここで────」

「ヒィッ! わかった、わかった! 従うよ」


 自分の目の前に転がった人間を見て男は言った。


「全部を隠すわけじゃないなら、いいわ……」


 それに続いて口々に大半は了承の意を示してくれた。

 キャメルはその一人一人に目を向け観察する。


「うん、ありがとう……あぁでも、お前はダメだな。多分お前も……」


 何を基準にしているのかは住民たちには分からない。

 ダメだと判断した人間、つまり土壇場で弟を売るだろうことが見て取れた人間を一人たりとも逃がさないように、キャメルは服が返り血で汚れることも構わず斬り裂いた。

 その全ての人間がキャメルの予感した行動を本当にとったかなんてもう確かめようはないし、キャメル自身だって絶対に全部がそうだったとは思っていない。それでも取りこぼすよりはいいと思った。

 そうして恐怖が伝播しその場を支配し尽くした時、キャメルはひと息ついた。


「それじゃあ約束、守ってね」


 もう誰も言葉を発することはなかったが、キャメルは満足そうに微笑んだ。

 あとは自分が大人しく捕まりさえすれば、弟の平穏はしばらく守られそうだ。


 ◇◆


 想定通りにやって来た海軍はその惨状に息をのんだ。

 これをやったのはたった一人の青年だというのだから。

 青年は特に抵抗の意志を見せることなく捕まった。それが一層気味が悪い。

 どうしてこんなことをしたのかという問いにも、嫌がる素振りも見せずに答えてみせた。


「アイツら神だって言うからさ。どんなもんかと思ったんだよ」


 青年はあっけらかんとしていた。


「本当に、お前一人で全部やったのか」

「うん、神にでも誓おうか?」

「……」

「あ、私が殺してしまったんだったね」


 ◇◆


 クロコダイルには分からないことがあった。兄のことだ。自分が産まれてからずっと一緒にいる兄のことが、クロコダイルには未だによく分からない。

 兄は両親が生きていた頃からクロコダイルの面倒をよく見てくれていた。それは両親から言われてやっていたことなのか、けれどもそれなら何故両親を殺したのか。兄からすれば安全だったはずの住処を捨ててまでその選択をしたのはどうしてなのか。その答えはクロコダイルの期待の中にある気がしたが、それを確かめるのは怖くて出来ない。ただの気まぐれだと言われてしまったら。その可能性を捨てきれないうちは聞けそうもなかった。

 そんな時に、事件は起きた。兄はそれを事件とも思っていないのかもしれないが、クロコダイルにとってそれはまさしく事件だった。

 最近はもっぱら服飾に励んでいた様子の兄が、買い物の途中に急に言ったのだ。


「いいかい、クロ。どうやら天竜人ってのはちょっとでも逆らうとヤバいらしい。ヤツらは神なんだって。だから何があっても服従する姿勢を崩さないこと、いいね? 今はそっちの建物の陰にでも隠れておけばいいかな」


 繋いでいたはずの手がいつの間にか解かれている。

 嫌な予感がした。

 クロコダイルには分かったのだ。兄がこれから何をしでかそうとしているのか。でも分かったのはそれだけだった。


「そして私は今日から神殺しだ」

「おい、待て、アニキッ……!」


 クロコダイルの制止の声は届かない。

 どんな意図でそんなことをするのか。肝心なことはまるで分からない。それでも兄の言う通りに、クロコダイルは物陰に身を潜めた。

 天竜人なんて、そのヤバさを知らず生きていけるヤツなんかいないだろう。兄はそれをどこまで理解しているのか。

 たった今、天竜人の首が飛んだ。もう片方の天竜人が怒髪天を衝くほどの怒りを見せているというのに、兄は全くの普段通りだった。

 そして確かに聞こえたのだ。


「暇つぶしになるかなと思って」


 耳を疑った。ふざけるなと言いたかった。どうしてそんな理由で。これからどうするつもりだ。きっと海軍がやって来る。お尋ね者になれば今までのような生活なんて到底できるはずがない。どうして。兄は、自分のことなど、もうどうでもよくなってしまったのだろうか。自分には暇つぶしほどの価値も、ないのだろうか。

 ぐるぐると思考がまとまらずクロコダイルはその場に膝をついた。

 その間も住民の悲鳴が絶えず聞こえているのが耳に入らないほどだった。

 それから海軍が来るまでの間、クロコダイルは何をするわけでもなくその場に座りこんでいた。

 兄に逃走の意志があるならこちらに戻って来ると思っていた。

 そして兄に戻る気がないことを知って、クロコダイルはようやく買い物袋を持って立ち上がった。

 きっと今なら何を言ってやったって許させるはずだ。それなのに兄を前に言葉はひとつも出てこなかった。

 それから兄は海軍に拘束されたまま、クロコダイルの方など見向きもせずに連行されて行った。

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